宇多丸から自信を持てない人へ自信は他人からもらおう

ラジオやテレビ、音楽活動などで幅広く活躍する宇多丸さんにお話をうかがった。宇多丸さん自身は不登校していないが、語ってくれた言葉には不登校の人が生きていくためのヒントがつまっていた。生きづらさを生きるための宇多丸流サバイバル術をお読みいただきたい。

宇多丸さんの学生時代はどんな感じでしたか?

小中学生のときは、とにかく学校が窮屈でしかたなかったです。クラスや部活内の人間関係がきつかったんです。逆に高校生になると、人間関係が一気に解放されました。高校時代の友人たちは、映画が好きな子だったり、音楽グループが好きな子だったり、クラスは別だけど、文化的な趣味でつながった人たちでした。

なんというかクラスというシステムは理不尽だと思います。一つの箱のなかに強制的に人を集めてコミュニケーションさせるなんて、バカみたいじゃないですか。単一のチャンネルしかないなかで濃い人間関係があると、ろくなことにならない。みんながストレスを抱えてしまいます。

逆にゆるく広く、いっぱいチャンネルを持っていると楽です。音楽の話はこの友だち、映画の話はこの友だち、というふうに。さらに学校の外にも友だちが増えれば学校という単位すら関係なくなる。そうなるとクラスや部活内の同調圧力なんて、心底バカバカしくなりますよ。いや、別におまえらに付き合わなくてもいいんでと。そういうふうに気が楽になってからは、学校そのものにこだわりがなくなりました。

表現することなぜ踏み出せたラッパーとして音楽を通して自己表現されていますが、自分をさらけだして表現をする、というのは怖いことでもあると思います。なぜ、自己表現をしようと思ったのですか。

それが僕にもわからないんです。僕の場合は大学のサークルで出し物をしなきゃいけなくなって、そのときにラップやりますと言ったのが最初です。でもなぜそのとき俺にはできると思ったのか、ぜんぜんわからない。

知り合いのアーティストたちにもなんで始めたの?と聞いてみたことがあるんです。みんな始めてみたらおもしろくてとかひっこみがつかなくなってとか言うんですが、じゃあその最初の一歩はなぜできたの?とさらに聞いていくと、結局みんなわからないという答えに行きつくんです。なんかわからないけどやれると思ったとかなんかわからないけどやっちゃってたと。

おっしゃるとおり、表現することは怖いし、もっと言えば恥ずかしいです。でも表現する人には、最初の一歩に理不尽なジャンプがある。

そんなジャンプを自分でもわからないうちにしちゃっているかどうかが、表現する人としない人の差なのかもしれないですね。

大切なのは根拠なき自信ただ、最初のジャンプをするにあたって、自分の背中を押してくれる見えない手はあるのかもしれない。大学生のときの僕のように、根拠もなく俺はやれると思わせてくれるものです。それはこれまでの経験のなかで得てきたものが大きいんだろうと思います。とくに大事だと思うのが親ですね。小さいころから、親に根拠のない自信を与えられてきたかどうか。逆にあんたになんか無理できるわけないと言われ続けると、最初のジャンプをするのは難しくなると思います。

最初の一歩を踏み出したあともたいへんだと思います。自分よりもうまいラッパーがたくさんいて、自信をなくすようなことはなかったんですか。

正直に言うと、当時もっとうまい奴は国内にはいなかったね笑。でも僕らはアメリカのヒップホップを目指していたから、その理想に自分が達していないという自覚は相当ありました。

でも、自信がなくなっても続けていればなんとかなっていくものです。自信というものについて、僕には理論があるんです。まず自信がある状態には2種類あり、根拠のない自信と根拠のある自信があります。それから自信がない状態にも、それぞれ根拠のある場合とない場合の2種類あると思っているんです下図参照。

僕の場合、まず音楽をはじめた瞬間は自信アリ、根拠ナシの状態でした。実績ゼロなのになぜか自信だけはあった。でも、いざやってみると自分がまったくできない、という現実が見えてしまう。自信はガーンといったん底につきます。その状態が自信ナシ、根拠アリです。実績が出てないという、自分のダメさの根拠があるわけです。

しかしそれでも1回やってみたおかげで、ほんの少しは実績ができます。1曲つくったとか1回ライブをやったとか。そうやって実績を積み重ねていくと、時間はかかりますが自信ナシ、根拠アリの状態から、少しずつ自信アリ、根拠アリの状態に変わっていくんです。

とにかくやり続けることが大事なんです。

今の僕は音楽を始めた直後のような自信はありません。自分はラップが上手くないと思っている。だけど、つくってきた曲だったり、売れた枚数だったり、ライブに来てくれたお客さんの数などは、否定しようとしてもできない事実です。そうした実績の足跡があるから自分にはその程度は実力があると思っている。それが自信アリ、根拠アリの状態なんです。

自信も根拠もないのはキツイところで、いちばんキツイだろうな、と思うのは自信ナシ、根拠ナシの状態です。客観的な評価がないのに自分はダメだと決めつけてしまっている場合ですね。自信アリ、根拠ナシの状態にいる人は、いずれ現実にぶつかって挫折したとしても、そこから学ぶことができる。でも自信ナシ、根拠ナシの状態にいる人はやるのがこわいどうせだめだと、最初の一歩を踏み出すことができない。そうすると、失敗から学ぶことができないんです。

自分自身も含めて、不登校経験者には自信ナシ、根拠ナシの状態にいる人が多いと思います。

どうやって自信を持つか、は大問題ですね。先ほども言ったように、本当は親が、子どもが小さいころに自信を与えてあげなきゃいけないんです。ただ、それが得られないまま大人になったとしても、親以外の人からもらえばいいとは思います。たとえば恋人がいれば、自分を肯定してもらえる。でも、そうかんたんに恋人がつくれたら苦労しないですよね。

自分を肯定してくれる人がどこにもいない。そんな場合は、もうギリギリの回答になってしまうけど最悪、犬飼えというのはどうですか笑。犬はすごいですよ。飼い主の存在を100喜んでくれる。無条件にこちらを肯定してくれますよ。

それから、考えが悪い方向に行くときは、たいてい睡眠不足のときです。落ち込んでても、ゆっくり寝て起きたら、ケロっとしている場合はけっこうあります。だから無責任にバカなこと言わせてもらえれば犬飼って寝ろと笑。

捨てたもんじゃないと思えればそれから、キツイ思いをしている人はいっぱいいると思うけどあなたが自信を持てないのはあなたのせいではまったくないんだというのも伝えたいですね。あなたを充分に肯定してこなかった親やまわりの大人が悪いんです。恋人でも犬でもなんでもいいから、なんとかして私、そこまで捨てたもんじゃないなって思えるようになるといいですね。

不登校の子を持つ親の方にメッセージを。

さぞかしご心配でしょうが、たかだか学校に行かないだけなので、なんていうか、気長に、お子さんを信頼してあげてください、という感じですね。子どもが1日中、家でゴロゴロしていれば、ケツをたたきたくなる気持ちもわかります。けれど、親は子どもに根拠のない自信をつけてあげられる数少ない存在なんです。親が甘やかさないで誰が甘やかすんだと思います。

ありがとうございました。聞き手子ども若者編集部