完全なものなどない、とも言えますし「すべてが完全だ」とも言えます。

完全なものなどない、とも言えますし「すべてが完全だ」とも言えます。

質問

完全なものなどないとよく言われますが、

このことはこの大宇宙の創造においても同じなのでしょうか?

バガヴァン

それはものごとをどう見るかによります。

「コップの半分に水が入っている」とも言えますし、

「コップの半分が空っぽだ」とも言えます。

同じように「完全なものなどない」とも言えますし

「すべてが完全だ」とも言えます。

ですから、ムクティー・ヤグニャ(悟りのコース)を通して

あなたが「見るとは何か」が分かったとき、

あなたにとってすべてが完全になるでしょう。

完全さも不完全さも、ただあなたの考えの中にあるだけです。

考えがあなたの人生を支配している限り、

相反するものが存在し続けます。

完全さ・不完全さ、善・悪、正・邪などです。

なぜなら「考え」そのものが本質として分離的なのです。

考えの構造自体が比較するというものです。

比較がなければ考えというものは決して存在できません。

マインドは考えを手放すことはできません。

考えは単に記憶であり、

もしあなたが記憶の本質を学べば、

記憶が単なる想い出や連想でなく、

比較をも伴ったものだとわかるでしょう。

いつも相反するものを前提としているのです。

考えの中には、常に相反するものが存在する、

ということが問題なのです。

考えを超越したときに始めて、

人はすべてのものをありのままに体験できるようになります。

これがこのムクティー・ヤグニャ(悟りのコース)の意図するものです。

その深みに入って行くにつれ、

多くの人がその意識状態を得ていくことになるでしょう。

そうなれば必要なときに考えを使うだけです。

それ以外に考えはありません。

考えが必要でないとき、そこには分離はありませんし、

そうなれば葛藤も生じません。

ただ直接認識があるのみです。

この状態では、どんなものも、そのままで素晴らしいのです。